政府の今すべきこと

政府が今するべきことは、金融機関への公的資金の注入だと思う。または、公的資金を注入するというアナウンスだと思う。
そもそも、銀行というのは貨幣経済をになう中心的な存在であって、インフラ的な性質を持つものだ。銀行の本質的な役割は、家計から企業ないし政府への資金の橋渡しを行うことだ。預金金利や貸出金利といったものは、銀行が市場経済で経営されるためにたまたま設定されているにすぎない。まさしく上下水道や道路のような存在であることを認識しなければならない。
日本の銀行は歴史的経緯によって株式を保有している。そのため米国の投資銀行ほどではないにしろ、市場動向をある程度受ける性質を持つ。最近の株価下落によって、自己資本比率が減少する銀行が相次ぎ、貸し渋り貸し剥がしが頻発するようになった。A+の格付けを持つREITニューシティ・レジデンス投資法人が破綻したのも、銀行の貸し渋りによるものである。それによって、不動産市況はさらに悪化して、他のREITも相次ぐ格下げを受けている。これだけ見ても重大な影響である。もし、銀行が破綻すれば比較にならないほど加速度的に、同様の影響を及ぼすことになる。
メガバンク各社が数千億から1兆円の増資を計画していることが報道されたが、現在の流動性理数を抱えた市場にはこれらを吸収する力はない。増資が成功したあかつきには、流動性は枯れ果ててしまうだろう。まして、失敗したときの心理的な影響は多大だ。
私はこれらのメガバンク含め、地銀や信金といった金融機関の中で、増資を検討する企業に関しては、政府がいくらかの手助けをするべきだと主張したい。これらの金融機関の増資に、失敗は許されないからである。また、このようなアナウンスを日本が行えば、世界に対する明示的なメッセージともなり、国内にとどまらない好影響と存在感を示すことができるだろう。クリティカルな政策として、これほどふさわしいものはない。

銀行インフラ論

道路が寸断されればすぐに復旧される。
それは道路が寸断されることによる経済・生活への悪影響が分かりやすく見えるからである。
一方銀行に破綻の懸念があっても、救済案を提示すると国民は承知しない。金融業界が虚業によって高い報酬を得たがための尻拭いを、なぜ税金でしなければいけないのかと思うからである。リーマンブラザーズがAIGと違い救済されることがなかったのも、世論の悪化を防止するためと説明されている。
しかし、社会に対して大きな影響力を持つ金融機関は、道路と同じように社会の基盤をなしている。もしこれが、ただ1行の倒産ですめば特に救済する必要はないだろう。市場によって適切に破産処理が行われるためだ。今回のクレジットクランチはケースが異なる。あまりにも大規模な経済変動が起きたために、脆弱な自己資本で積極的な活動を行ってきた企業から、そうでない企業へと次々と連鎖的に影響が波及することになる。橋の痛みを放置していたらいずれ海に沈むだろう。
道路の復旧にも税金はかかる。インフラを維持するために税金を投入することは悪ではないという理解が、これからの日本経済には必要となってくる。

銀行はリスクをとりすぎる

銀行が救済されるに当たって世論を獲得できない理由は、銀行の日ごろの行いによるものとしか説明できない。日本のメガバンクは財閥の中心的な法人としての地位を長く保っている。そのためかどうか、バンカーとは一般にエリート意識が高い。
実際はリテールというインフラをにない、預かった預金を貸し出しに回し利益を得るという、非常に卓越した地位を持つことによる企業規模であって、付加価値そのものは誰がどうやろうが大して変わらない。
ところが、景気がよくなってくると横並びの競争に勝ちたいがために、もっともっととリスクに手を出し始める。銀行員を接待したり、天下りを受け入れる企業が多額の融資を受け始める。金融派生商品ポートフォリオの名目で買い入れる。
インフラとしての銀行に求められる行動は、利益ではなく安定だ。
米国ではこのほど、投資銀行が廃止され銀行持ち株会社へと移行した。すばやい行動で賞賛に値する。
誤ったら正せばいい。不動産バブル崩壊から世界的な投機バブルの崩壊と、短期間で違った種類の過ちを目撃して尚、日本経済は健全であるという幸運を享受している。どうかして、銀行に対して業務範囲を規制して、市場動向によって経営が大きく変動するようなことを避ける仕組みを導入する必要がある。