過疎問題を考えてみた

過疎問題とはそもそもなんなのか。

 辞書には、

極度にまばらなこと。特に、ある地域の人口が他に流出して少なすぎること。「―の村」「―化」過密。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%81%8E%E7%96%8E&stype=0&dtype=0

とある。
 過疎が直接的に問題となるのは労働力不足だ。しかし時間軸をもう少し長くしてみると、もっと厄介な問題が見えてくる。

 過疎になると、まずは民間の撤退が始まる。商店街は廃れ、水道工事、ガソリンスタンド、コンビニといったライフラインとして重要な施設がどんどん減っていく。
 次にインフラが見劣りをし始める。日本は成長を続けている国家であるため、設備が更新されないと相対的にどんどん遅れていくことになる。インターネットなにそれ?な状態の地域もいまだに存在する。道路、上下水道、都市ガス、インターネット、光ファイバー、電線の地中化などなど。
 この辺まで来るともう止まらない。ますます人口が減っていく。そうなると今あるインフラの維持も難しくなってくる。
 まさに負のスパイラルの典型といえる。

過疎の発生原理

 過疎の負のスパイラルが発生するためには、まず最初の人口減少が起きる必要があった。
 なぜ過疎が進む地域に、負のスパイラルの初動である人口減少が発生したのか、その原因はずばり、地理的要因によると考えられる。
 江戸時代かそれよりももっと昔は、諸藩は領土を固定されていたために、藩力を上げるためには、津々浦々まで耕作地を広げる必要があった。そのため、藩は開拓を奨励し、その結果、日本全国すみずみに渡るまで、日本独特の田園風景が行き渡ることになった。
 時代は平成に移り、農具の発達して農機となって、広く四角く平らな土地の農業生産性が大いに高まることとなった。元来山地がちな国土を持つ日本は、広大な平地を大量に保有する外国と比較して生産性が低くなり、海運の発達とともにわが国の農業は次第に衰退していくこととなる。
 地域の衰退は、農夫たちが耕作には不向きな土地を捨て、都会に出稼ぎに行ったことによって発生した。農夫たちが江戸時代以前の生活水準で満足するならば、地域の衰退は起きなかっただろう。農夫たちはより豊かな生活を求めて都市へと大攻勢をかけたのである。
 この豊富な地方からの労働力をふんだんに投入して、工業製品を諸外国に対して高い競争力で売りまくったのは余談である。
 農夫たちが去った地方は、以前からの生活に満足している年寄りを残して、次第に人口が減少していくことになる。
 例外として、歴史的にはほとんど似通った条件であっても、交通網の拠点になったり、都市圏の拡大によって開発が進んだ幸運な地域、思いがけず資源が発見された地域など、まったくその地域の人たちの努力とは関係のない要因によって発展した地域もあるにはある。

人間の本能が過疎を問題化する

 人間は進化を好む。これまであったものは当然あるものとして、これからもっと豊かになるだろうと思って存在している。このような人間本来に備わった性質によって、過疎は問題となる
 相対的に見劣りした社会インフラを抱えた地域は、電波によって都会の生活を見ることになる。以前からまったく生活を変えていなくても、発展したメトロポリタンをみれば、比較してみるのが人間だ。
 そして過疎は問題である、どうしようと言うようになる。よそと同じように、もっとインフラを提供してくれといい始める。

過疎地域に都市部と同じインフラを保障する必要はない

 自治体は、この要望に応える必要があるだろうか?答えは否であると思う。
 過疎と同じように、人口の減少がよりはっきりと早い時系列で進んだ地域がある。
 夕張市である。
 夕張は炭鉱の町として急速に発展した。豊富な石炭を求めて、たくさんの人が集まった。その数、約12万人。
 石炭の町として潤った自治体は12万人を前提として社会インフラを提供した。
 しかし時代とともに、石炭は露天掘りが主流となり、日本の石炭産業は衰退した。夕張でもいよいよ閉山が続いた。屈強な男たちは仕事を他の地域に求め・もっと安全で高い給料を求め旅立った。もともと彼らは、石炭を求めてやってきた、独立心旺盛で優秀な開拓者なのである。フロンティアはもう夕張にはないと気づけばさっさと出て行く。
 夕張市は、彼らが去ったあとも役所の性質とでも言おうか、12万人を前提として与えられた予算をきっちりと使い続けた。社会インフラは相対的にふんだんに提供された。
 そして、夕張は破産した。
 分不相応なインフラを作り続けた結果であるといえる。

過疎を解決する予算の使い方を考えるべし

 昔からそこに住んでいたという理由だけで、社会インフラを保障してはいけない。あくまで、地域の活力が自治体の体力であるということを理解した上で、適切な量の社会インフラを提供しなければならない。
 過疎が進んだのは地理的要因などの、不可抗力によるもので、社会インフラを強化したからといって解決する問題ではない。夕張のように、廃墟のような施設が並ぶだけだ。
 どうすれば人の流れが起こるのか、若者を呼び込めるのか。頭を使って考えなければいけない
 郵便局の減少を危惧する声や、過疎問題を喧伝するメディアは多く、この声によって地方に対する予算配分はそれほど厳しいものにはならないだろう。過剰に配分された予算といえるこの予算、過疎地域を抱える自治体はチャンスに変えなければいけない。予算を戦略的に自治体の力を強化するように配分することによって、他の過疎地域と比較して相対的に立ち直らせるのだ。
 過疎対策といって、過疎地域を甘やかすことは、むしろ過疎地域住民を見くびった行為ではないだろうか。
 住人はきっと、もっと強い。
「コンパクトシティ」―青森市の事例―